小説『坂の上の雲』を読んで
この小説を、20年以上前、初めて読んだ時の驚き、衝撃、そして感動を、いまでも、ハツキリと覚えている。
あのころの時代の雰囲気として、明治維新、日本の近代化、日本の侵略戦争・・・と日本の国の歴史が醜いもののように、語られていた。
学校の歴史の授業でも、明治維新以後の日本の戦争は侵略戦争であつたと教えられていた。
まして、自衛隊、安全保証、軍人などといった軍事的なことを話すのは、はばかられる気ような雰囲気であった。
あの雰囲気に逆らって、小さな抵抗だが、われながら、よくこの小説を、読んだものだと感心している。
もちろん、それ以上に、そんな時代に司馬遼太郎氏がこのようなテーマの小説を書いていたことに深く感動し、以後、敬意の念をもつてこの著者の他の小説も読むようになった。
まず、あのころの時代の雰囲気について、自分の感じていたことを、少し述べたい。
昭和50年代、渡部昇一氏の『知的生活の方法』を読んで、自分もこのような生き方ができたらいいなと憧れていたのに、この著者に『ドイツ参謀本部』という著書があるのを知り、裏切られたように、がっかりしたのをいまでも覚えている。
今では、余り、気にならないが、この感覚は、当時でなければわからないような気がする。
しかし、その後、渡部昇一氏の本は『ばんけん虚に吠える』『腐敗の時代』『正義の時代』など感銘を受けたのもが多い。
また、下村寅太郎氏が『東郷平八郎』という本を書いているのを知った時は、さらに深く失望した。
下村寅太郎氏の『無限論の形成と構造』は、(現在からみれば、誤りがあったとしても)集合論の全体の見透しが鮮やかに示されていて、私は何度も読み返し知的な興奮を覚えていた。
その下村寅太郎氏が、戦時に『東郷平八郎』を書いていたのである。
どんなにりつぱな哲学者でも、戦時には、時代に迎合するような著書を書いていたのか、残念でならなかつた。
(後に、この本を読んで、それまでの自分の認識不足を思い知らされた。やっぱりこの著者の見方は平凡ではない、自分の間違いに気ずいて、なにか、さわやか気分になった。)
私の、この認識が、完全にまちがつていたことを教えてくれたのは、小説『坂の上の雲』を読んでからである。
その後も、日本の近代化、明治維新、日本の侵略戦争・・・と、日本という国の歴史が醜いもののように、語られていた。
(まだ、書き出したまま、途中です)